大阪医科大学简介 大阪医科大学,是于1927年建立,1946年开设大学教育的日本私立大学。 学校设有医学部(医学科),研究生大学院设有医学研究科(形态系专攻、机能系专攻、社会医学系专攻、内科系专攻、外科系专攻)。 为了不断地在本校进行积极地医学教育改革,进一步推进以学生为中心的大学教育,2000年6月建立了“教育中心”。教育中心对未来6年一贯教育系统的策划、实施、评价等起到重大作用,其中包括入学考试,国家医生考试和临床研修计划。具体情况如下: (1)、全部课程的设计和将其具体化的课程的构筑和实施,逐一不漏地全面重新审视学校制定的课程。 (2)、实施包括综合教育、基础教育、PBL、CBT、综合测试等总体性的学生评价和教师评价,并探讨其妥当性以及反馈。 (3)、医学研究教育。 (4)、各种FD的企划和实施。 (5)、教育网络的构筑和整备。 (6)广告活动等 班子成员有主任、副主任2名,专职教员1人,由大讲座推选的教员20名,与教务处教育中心科协调进行业务。 随着医学教育重要性的不断增加,“教育中心”的作用和责任也会不断的增加。
学長からのご挨拶 大阪医科大学は1927年に創立された西日本では最も歴史がある私立医科大学です。また、その自由な学風は校是の「良医育成」と相なり、多くの優秀な臨床医を世に送り出してきました。この4月からは看護学部看護学科を併設します。高槻のキャンパスに新しい学部の誕生です。学長として、2026年の開学100周年を視野に入れ更なる本学の躍進を目標に掲げています。 基本的に医学教育も看護学教育も公教育です。多くの卒業生が医療と言う公共財の中で終生を過ごすことを考えれば、高い倫理性と使命感の涵養と自覚は大学教育の大きな命題であります。昨今、教養主義は廃れ、高等教育の在り方が問われています。その基盤に地方あるいは高度な専門性があるとされ、大学人のなかに混乱があります。しかし、本学は良質な医療人の育成が、変わらぬ理念であり、医療の分野で高い専門性を追求することに変わりはありません。地域性は主に大学附属病院がその存在を示すところであります。この混迷の時代、大阪医科大学は医学部と看護学部が主体性を持って協調(医看融合)しながら、社会環境の変化に対応すべきと考えています。 医学?医療の進歩には予想を超えたものがあり、知らなければならない知識、伝えなければならない思考は飛躍的に増えています。しかし、それを正しく理解するのに必要なものは自然科学の方法論であります。 そのためには本学において研究活動が活発に行われ、学部学生や大学院生、医師や他のライフサイエンスを専門とする人達の交流が十分に行われる環境が必要です。看護学士の協力も大きな味方です。医学や看護学が持つ普遍性や社会性を考慮にいれた本学の特徴ある研究が今こそ求められています。 これらの考えを実現するためには、学部、大学院と附属病院が一体となって方向性を定め、高い次元の経営基盤を持つことが重要であります。そのためには、教育や研究、医療に係る大学の在り方について情報が開示され、大学に集う全ての人達に共有されることが最重要課題と考えます。「行解相應」を座右名として努力を重ねて参ります。
歴史と沿革 大阪医科大学は1927年(昭和2)に、日本で最初の5年制医学専門学校「大阪高等医学専門学校」として創立され、1929年に「附属看護婦学校」が設置されました。2007年には創立80年を迎え、創立より数え約4000名の看護婦?看護師と約9000名もの医師を輩出してきました。この度2010年4月より新たに看護学部を開設し、名実ともに関西を代表する、医看融合の医療系大学の地位を確固たるものにしています。 初代校長には足立文太郎先生(解剖学)が就任し、良医養成を使命として“懸命不動”の精神を学生に説かれたのです。理事長に吉津度、理事には太田光熈(京阪電鉄社長)、松島寛三郎(京阪電鉄取締役)が就任。教授陣は京都大学や大阪大学を中心とした新進気鋭の学者を迎え、我が国でも有数の医学教育環境が整備されてきました。設立当初より医学と看護の両輪での医療教育を目指し、その後「附属看護婦学校」は1982年に認可された「大阪医科大学附属看護専門学校3年課程(全日制)」の前身として、看護基礎教育の基盤を固めました。 「大阪高等医学専門学校」は当初、大阪市東淀川区下新庄の仮校舎からはじまりました。その後1930年には現在の地である高槻市大学町に大学本館をはじめ学舎群や附属病院が竣工しました。これにより名実ともに医学の最高学府としての地位を確立したのです。これらの建築はヴォーリズの設計によるもので、サラセン様式のアーチやアラベスク装飾などを施した個性的な意匠が、当時の人々の目を惹きました。この竣工当時「別館」と称されていた建物は「附属看護専門学校」の校舎として利用され、2003年に高槻市では初めて、国の有形文化財として登録されています。現在復元改修し、内部に「歴史資料館」を設置して公開しています。この「歴史資料館別館」は、当時の日本建築の中でも最先端のモダンな学舎郡群の中のひとつで、そして最高の医学教育環境の整備が、本学の「自由な学風」誕生に大いに貢献したのです。その後1932年に第二代校長として戸田正三先生(衛生学)が就任。戸田先生の豪放磊落な人柄は今なお多くの卒業生の記憶に残るところで、戸田先生がモットーとされた“身康則神明”は足立先生の“懸命不動”とともに、学生座右の銘として永久に残るものとなっています。そして第二次大戦終戦の翌年には旧制大学令による7年制大阪医科大学の設置が認可され、先ず予科が発足。初代学長に松本信一先生(皮膚泌尿器科学)が就任されました。その後1952年には新制度の大阪医科大学の設置が認可されました。1959年に大学院医学研究科を設置、そして1965年には医学進学過課程の設置が認可されました。 キャンパス面積も1968年の京都大学化学研究所跡地の等価交換により倍の広さとなりました。2005年には「新講義実習棟」が竣工され、臨床力育成に着眼した新カリキュラム編成に相応しいハードウェアの充実を図っています。平成13年には、看護基礎教育をより一層充実するため本部北キャンパスを取得し、平成17年には、4年制の看護基礎教育に耐える校舎を建築し、さらに2010年には看護学部研究棟を建築して、「2007年教育環境からみた大学ランキング」において数少ない「AAA」評価を得ている医学部と並んで看護学部が設置されました。大阪医科大学は、医療従事者としての自覚と誇りを常に持ち、社会貢献を使命と考える“強い医師”“自立した看護職者”育成のため、これからも最高の医学?看護基礎教育環境で応えます。
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